金澤翔子の美術館はどこ?書道の腕前がすごい!母や父についても調査!

今回は書道家である金澤翔子さんについて調査します。
金澤翔子さんは現在32歳の書道家でありますが、ダウン症という障害を持っています。
2012年に「金澤翔子美術館」を開設し、館長でもあります。
また、2012年NHK大河ドラマである平清盛の題字を書かれた方なんですね!
現在は一人暮らしを始めており、すでに3年たったようです。
そんな金澤翔子さんの生い立ちや美術館の場所、ご両親についても調査してみました!
金澤翔子さんのプロフィール・経歴
名前:金澤翔子(かなざわ しょうこ)
号:小蘭
生年月日:1985年6月12日
年齢:33歳(2018年6月現在)
出身地:東京都
職業:書道家
母親である泰子さんは、42歳という高齢出産の末に翔子さんを生みました。
しかし、産後1ヶ月もしない間に敗血症にかかりダウン症と診断されます。
母親である泰子さんは、翔子さんがダウン症である事がとても受け入れられず、親子心中さえも考えたようです。
しかし、翔子さんが少しずつ成長していく様子を見たり、ご主人の精神的な支えもあり考え直していったようです。
翔子さんは5歳の時に書道を始めました。
母親である泰子さんは書道家であり、翔子さんにお友達を作ってあげたい、という想いから自宅で書道教室を開いたのです。
当時は4人でスタートしましたが、翔子さんだけ筆を正しく持つ事が出来たようです。
泰子さんは、翔子さんの書道の可能性を感じたのです。
その後、翔子さんの才能は開花します。
【全日本学生書道連盟展】
1995年 「花」 初出品 (10歳)
【日本学生書道文化連盟展】
1999年 「龍」 銀賞 (14歳)
2000年 「延命十句観音経」 銀賞 (15歳)
2001年 「舎利札」 金賞(最高位) (16歳)
2002年 「觀」 金賞(最高位) (17歳)
泰子さんの直観通り、数々の作品が受賞されるのです。
中学時代では、全国で1~2位という成績だったという事ですね!
本当に素晴らしいですね^^
2004年には書道としての号「小蘭」を取得します。
そして2005年「翔子 書の世界」という最初の個展を銀座で開きます。
翔子さんが20歳の時になります。
この個展では、予想以上の人数が来られたようです。
ダウン症という病気を持っているため、一層興味を持ったのかもしれませんね。
しかし、金澤翔子さんの書道には、雑念が一切なく、有名な書道家も認めるほどの実力だそうです。
ダウン症の天才書家として日本中で有名になったことは間違いないですが、その実力は正真正銘の本物なのですね^^
金澤翔子美術館とは?
金澤翔子さんは2012年に「金澤翔子美術館」を開設し、館長となっています^^
お若いのに、すごいですよね…!
場所はどこなのかというと、福島県いわき市にあります。
これは、東日本大震災後に作られた美術館です。
翔子さんは、被災された地や方々に寄り添いたい、という思いから書き上げた作品が多く飾られているのです。
特に、「希・望・光」の作品は渾身の力で思いが詰まっている作品です!
こちらまで力が湧いてくるような、元気付けられる素晴らしい作品だと思います。
「金澤翔子美術館」の案内になります。
【開館時間】
午前10時~午後4時(入館 午後3時30分まで)
【休館日】
毎週火曜日、水曜日(ただし祝日の場合はその翌日)
年末年始(12月26日~1月1日)
【観覧料】
個人 800円
団体(一人につき)600円
※小学生未満は無料
※障害のある方 400円(入館時障害者手帳提示)
※団体は20名以上
【アクセス】
<車の場合>
常磐自動車道「湯本IC」より車で15分
<電車の場合>
JR常磐線「湯本駅」より車で20分
【住所】
〒972-0163 福島県いわき市遠野町根岸字横道71番地
【電話番号】
0246-89-2766
詳しい情報は金澤翔子美術館のホームページをご覧ください^^
ご両親について
金澤翔子さんの母親は泰子さん、父親は裕さんです。
泰子さんは元書道家でした。
しかし、翔子さんが5歳の時に筆を正しく持てたことで、書道の才能を早期発見できたからこそ、今があると言っても過言ではないかもしれませんね。
翔子さんが様々な作品を書くことが出来て、賞を受賞できたのも、泰子さんの厳しい指導があってこそでした。
翔子さんは小学生時代に「涙の般若心経」という作品を書きあげています。
これは、泰子さんと翔子さんが二人三脚で取り組んだ作品なのです。
翔子さんは小学校高学年で特別支援学級に転校するように告げられました。
友達も多く、楽しく小学校生活を送っていた矢先だったので、泰子さんもとても辛く、悩んだそうです。
その辛い時間を埋めるべく、翔子さんに仏教の精髄を276文字で表現した般若心経を書かせました。
翔子さんにとっては難しい漢字ばかり。
泣きながら、昼夜問わずがむしゃらに書いたそうです。
それが、こちらの作品です。
小学生では難しい漢字がズラリと並んでいますよね・・・・!
力や思いが詰まった作品ですね。
泰子さんの熱烈な指導によって出来上がった作品は、今でも多くの方の心に響いているのです^^
また、父親である裕さんは、翔子さんが生まれてからずっと泰子さんを精神的に支え続けたようです。
非常に前向きで、優しい方だったのでしょう。
しかし、1999年に心臓発作で亡くなりました。
翔子さんが14歳の時であり、裕さんはわずか52歳でした。
最愛の父を亡くした翔子さんや泰子さんは、悲しみに包まれていましたが、しっかりと前を向いて歩いていきます。
その後、2001年に日本学生書道文化連盟展で金賞(最高位)を受賞しています。
翔子さんが16歳の時でしたね。
また、裕さんは生前、翔子さんにこう話していたようです。
「20歳になったら個展を開いたらどうだろう?」
この事を泰子さんが思い出したのがきっかけで、実際に翔子さんは20歳で銀座に個展を開いたのです。
このように、金澤翔子さんはご両親と共に様々なキセキを作られてきたのです^^
まとめ
ダウン症の天才書家である金澤翔子さんについて調査しました。
素晴らしい作品は、ご両親である泰子さんと裕さんの支えと共に作られたのですね^^
本当に素晴らしい女性ですね!
これからのご活躍に期待しております♡
最後までお読みいただき、ありがとうございました^^