栗城史多は嘘つきだった!?来歴・個人のプロフィールを調査!彼女についてもチェック
登山家である栗城史多(くりき・のぶかず)さんが亡くなったというニュースが流れました。
最近では、毎日のように訃報が続きますね…。
さて、登山家の栗城史多さんは指を9本も失っていたのですね。
また、栗城史多さんについて調べてみると、「嘘つき」と呼ばれているようです。
何が嘘つきなのでしょうか?
今回は、栗城史多さんの来歴やプロフィール、そして嘘つきと呼ばれた理由や真相、彼女ついてもチェックしてみます。
栗城史多の来歴・プロフィール
名前:栗城史多(くりき・のぶかず)
生年月日:1982年6月9日
年齢:35歳
出身:北海道瀬棚郡今金町
学歴:札幌国際大学
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栗城史多さんが登山をはじめたのは札幌国際大学時代に山岳部に入った頃のようですね。
きっかけは、その時に付き合っていた彼女が山登りが趣味だったからなようです!
好きな人が山が好きだったので、栗城史多さんは山について知りたくなったのですね。
好きな人がなぜその趣味がいいのか、知りたくなる気持ちは分かります!(笑)
栗城史多さんの経歴ですが、2002年の年末ごろから雪山の縦走を行ったようです。
それから、毎年のように登頂することとなります。
・マッキンリー(北米最高峰)
・エルブスース(ヨーロッパ最高峰)
・アコンカグア(南米最高峰)
・キリマンジャロ(アフリカ最高峰)
・カルステンツ・ピラミッド(オセアニア最高峰)
などなど、書ききれないほどの様々な山を登頂していました!
山の魅力にとりつかれたように、エベレストも2009年9月から何度も挑戦していたようですね。
その数、なんと7回も!
しかし、8回目となる2018年5月に、亡くなったことが確認されました。
栗城史多さんは4回目の登頂の際に指を9本も切断する重度の凍傷を負いました。
それでも、諦めずに挑んでいました。
現在は登山家として活動されていたようですが、実は起業家でもあったようです。
「株式会社たお」という会社の代表取締役なようです!
ただ、この会社がどんな会社なのか、詳細には記載されていないようです。
人材育成のアドバイザーとして活動しているようですが、詳しくはわかりません。
栗城史多は嘘つきなの?なぜ?
栗城史多さんは「嘘つき」という噂があるようです。
なぜなのでしょうか?
まとめてみますと、
・日本人で初めて世界七大陸最高峰の単独無酸素登頂に挑戦している、とマスコミへ向けて発言。
・しかし、エベレスト以外の山では酸素ボンベを必要としない。
・そもそも酸素ボンベを必要としない山でも「無酸素登頂」と発言するのはおかしい
・「単独登頂」となれば、他人が残していったロープを使うことは出来ない。足跡もたどらない、とされている。
・栗城史多さんはエベレスト登頂の際は、ロープを使用していた
・ロープを使用していたら、単独登頂にはならないのでは?と声があがる
・シェルパと呼ばれる案内人も同行していた
このように、無酸素ボンベが必要のない場所でも「無酸素でした!」と発言したことや、ロープを使用しても「単独でした!」と発言したことが嘘つきと言われてしまっていたのでしょうね。
栗城史多の彼女はいるの?
栗城史多さんには彼女はいたのでしょうか?
栗城史多さんから正式に彼女の存在や結婚について報告などはなかったようです。
しかし、過去のブログやツイートをみると、彼女や奥さんがいらっしゃるような発言をしていたようです。
こんなツイートがありました。
電話に出ないとキレる嫁を持つ男の日記: 登山家 栗城史多 大学 が気になります^^ http://bit.ly/bdNlvX
— エムアイディスプレイ (@midisplay) April 14, 2010
栗城史多さんのブログを読んだ方が、ツイートしているようですね。
ここで、奥様が電話に出なかった事について栗城史多さんに怒っている様子をツイートしているようです。
ですので、女性ファンなどのことを考慮して結婚については伏せていた可能性があります!
まとめ
登山家の栗城史多さんについてまとめました。
過去に7回もエベレストへ登頂されていたんですね。
指を9本もなくしても、登頂し続けた姿勢には驚きます。
8回目にして亡くなりましたが、栗城史多さんが挑戦し続けた歴史は残されます。
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ご冥福をお祈りいたします。